日が昇ったばかりのドラゴンズバレーの町のはずれには円形の闘技場がある。
嶋川の正面にヴィクトリーグレイモンが立っていた。
肩には常に持ち歩く大剣が架けられている。
ヴィクトリーグレイモンの体はガイオウモンに比べ筋肉質で、覆う鎧も少ない。
昇ったばかりの朝日に照らされて鎧が輝いていた。
肩や腕に乗ってじゃれつくドリモンを見て、ヴィクトリーグレイモンは目を細める。
「いい天気だな。今起きたばかりなのに眠くなる」
「・・・・」
嶋川は殺気の“さ”の字もないヴィクトリーグレイモンを睨みつけた。
ヴィクトリーグレイモンもその視線に気づき、嶋川を見つめた。
「眠くないみたいな。気絶したまま朝を迎えるとたいていクラクラするんだけどな」
ヴィクトリーグレイモンとは完全に対照的な――、不機嫌な顔で嶋川は背中から炎撃刃を抜いた。
「始めようぜ。話は聞いた。 オレ達を強くしてイグドラシルを倒させたいんだろう? 訓練開始と行こうぜ」
嶋川が剣を構えるのと同時にアグモンも身構えた。
ヴィクトリーグレイモンは朝の爽やかな気分を名残惜しみながらもドリモンに家に帰るよう促した。
「気をつけるんなー!!」
ドリモンたちが立ち去るのを無邪気に見送るヴィクトリーグレイモンはついに背中を向けた。
嶋川はすでにデジヴァイスに装填しておいたプログラムカードを叩き込み、読み込ませる。
「アグモン進化!!!!」
「ご飯残すなよなー!!」
そう叫んで両手を振ったヴィクトリーグレイモンは背後を一瞬確認する。
そして呟いた。
「まぁ、訓練開始、ってことな?」
「 ウォーグレイモン 」
背後から斬りかかるウォーグレイモンXは完全に勝った、と思った。
今まで戦ってきた敵はこの距離では反撃も防御も間に合わない。
こんな能天気なやつにそれが出来るはずがない。
「うぉおおりゃぁぁああ!!!!」
気合と同時に振り下ろした炎撃刃がヴィクトリーグレイモンの体を捉える瞬間だった。
猛烈なスピードでヴィクトリーグレイモンは背の大剣を手に取り、ウォーグレイモンの斬撃を横に弾いて見せたのだ。
「 技が大振りすぎるんな 」
至近距離で睨みつけるウォーグレイモンにヴィクトリーグレイモンは静かに言った。
口調はいつもとは正反対の慎重で落ち着きがあるものになり、表情には柔和な微笑みのかけらもない。
自分を見返すヴィクトリーグレイモンの眼にウォーグレイモンは威圧を感じた。
「せぃ!!!」
ウォーグレイモンを片手で振った剣だけで跳ね飛ばす凄まじいパワー。
地面を叩いて一度宙返りをし、体勢を立て直したウォーグレイモンが顔を上げる以前に、ヴィクトリーグレイモンの大剣が振り下ろされていた。
ほぼ一秒もかからず吹き飛ばしたウォーグレイモンに即座に追いつくスピード。
嶋川は本当に“死ぬ”と思った。
ヴィクトリーグレイモンの大剣が振り下ろされる。
嶋川の“眼”で見ても残像しか見えないほどの速さで。
「安心しろ! お前スジがいいからすぐ俺くらい強くなれるんな!」
ヴィクトリーグレイモンがそう言って剣を引いてもしばらく、ウォーグレイモンは動けなかった。
斬られた髪が風に吹き飛ばされる。
嶋川の肩が呼吸に合わせて大きく上下した。
森の小川が作り出す小さな滝の下に動くものがあった。
二つの影のうちひとつは林未、もうひとつはコテモンだった。
全身に負った切り傷を洗いながら林未はすこしうれしそうな表情を浮かべている。
コテモンは不思議そうな顔で訊いた。
「どうしたんだ?そんな顔して」
体が濡れたまま、脱ぎ捨てた上着を羽織った林未は答える。
「この傷見てみろ。どれも浅い。 ・・・手加減してくれてるんだ」
それはコテモンも納得できた。
確かに“東方の剣士”・林未梗(はやみ・きょう、健助の姉)の攻撃の中には即死してもおかしくない完璧に決まった斬撃も多かった。
林未はコートとシャツを拾い上げると腰に刀を差して立ち上がった。
「どこへ行ってしまったんだろうな。 早く会いたい・・。話がしたい」
林未健助が顔を上げたのと同時に、別の川のほとりで東方の剣士がうつむいた。
「あの少年は一体・・・」
笠をはずし、衣が濡れるのもかまわず彼女は川に上半身をつけた。
高い位置で括られた長い黒髪が水の流れに従って水草のようにうねる。
体を起こし、“梗”は必死に頭の中に浮き沈みする記憶をたぐりよせた。
自分の腰に抱きついて可愛らしい笑顔を向ける男の子の記憶。
そして、血のついた顔で、虚ろな瞳で自分を見つける同じ男の子の記憶。
それが脳裏に浮かんだ瞬間、彼女を激しい頭痛と耳鳴り、めまいが襲った。
「・・・っ! く・・・、うぐっ・・!!!」
鼓膜を切り刻むような耳鳴りの中でイグドラシルの声が響いた。
『削除しなさい、あのテイマー達を。 それがロイヤルナイツたる貴女の使命です』
「嫌ぁ・・・・!」
地面に倒れた梗をさらに頭痛が襲う。
『従いなさい』
数分、悲鳴をあげ、のたうった“東方の剣士”はゆっくりと体を起こし、立ち上がった。
腰の刀を触り、長い髪をしごいて水をはらった。
「・・私の使命は・・、イグドラシルに従うこと・・・」
苦しげな表情を笠が隠した。
訓練を終え、頭から水を被って汗を流した辻鷹は誰かが近づく気配を感じて顔を上げた。
やって来たババモンは訊いた。
「あんたらはリアルワールドでデジモンを殺しまくっただろう」
無言で辻鷹は頷いた。
「デジタルワールドではずいぶんべったりと仲いいじゃないか? そのくせロイヤルナイツを殺した? 虫がいいんじゃないかい? あぁ?」
再び無言で、辻鷹は今度は首を縦に振った。
「そのとおりです。でもぼくたちは決めました。戦いを終わらせるために戦うと」
「ほぉう? いつまで戦う気だい?」
ババモンの言葉を聞いて辻鷹は声を出して笑った。
「ははっ・・! それはババモン、あなたが知ってるでしょう?」
今度はババモンが笑う番だった。
「ひーっひっひっひっ・・・、何のことだい?」
一方の辻鷹は落ち着いた様子で答える。
「ヴァジラモンやウィザーモンは知っていましたよ。・・住民のデジモンには機密で“口外しない”という条件で聞かせてもらいました」
「ほう・・・、『人とデジタルワールドの神との戦い』、つまり今で言う『“神を名乗るもの”とイグドラシルの戦い』。 そんな滑稽話だね?」
「うん。 ・・・多分この世界ではテイマーは珍しい。だからこそ機密事項でも話してもらえる。 “町”を訪れたぼくの仲間は全員知ってるだろうね」
それきり、辻鷹もババモンも黙りきった。
お互いに視線がまったくぶれない。
夕日が作り出す草木の陰が指二本分ほど傾いたとき、辻鷹はやっと視線をそらす。
ある程度乾いてしまった髪を振って残った水滴を払い落とすと、辻鷹は一礼して宿舎のほうへと姿を消した。
置いてきぼりをくったガブモンも慌てて後を追う。
残されたババモンは再び大きく笑った。
ひとしきり笑い、最後に呟く。
「あのガキめ。強がるんじゃないよ。ったく。情けない顔しおって」
ババモンは離れた所で待機していたガイオウモンとヴィクトリーグレイモンを呼び寄せた。
「明日、『賢者の塔』に行きな」
ガイオウモン、ヴィクトリーグレイモンはほぼ同時に一礼する。
「心得ました」
「ちょっとした遠足な。行ってくるよ」
宿舎に戻った辻鷹は最初に嶋川を探した。
入り口近くでヤシャモンとすれ違った辻鷹は彼を呼び止める。
「ねぇ、ヤシャモン。 嶋川くん見なかった?」
「ああ、彼なら5階だ。“張り出し”のところにいたよ」
“張り出し”とは各階の階段近くにあるベランダのような場所だ。
辻鷹とガブモンはそろって礼を言うと階段を一気に五階まで駆け上った。
嶋川とアグモンは向かい合って張り出しの端に腰掛けていた。
どう言って会話を切り出そうか悩んだ辻鷹は嶋川の右手の中を見て驚いた。
澄んだ緑色の宝石のピアスが一つ、握られていたからだ。
「それ・・・」
思わず呟いた辻鷹を見上げ、嶋川は言った。
「計が消える直前にオレに渡したんだ。 覚えてるか・・?すこし前に谷川の家に行ったことがあっただろう」
「あのときのピアス・・・?」
「ああ」
静かに呟いた嶋川の頬を涙が一筋、流れた。
慌てて辻鷹は目をそらす。
見てはいけないような気がしたからだ。
涙をぬぐうこともなく、嶋川は立ち上がり、辻鷹とガブモンの前を通り過ぎる。
その際、小声で辻鷹にこう言った。
「オレは決めた、かならず強くなる。 谷川のためにも、オレは・・・」
“張り出し”からログハウス調なつくりである建物に入り、太い枝で組み合わされた階段を下りる途中、嶋川は辻鷹に言った。
「夢に出てくんだよ。あいつが。 『いつまで泣いてるつもり? しっかりしてよね』・・ってさ」
いい終わった後も、アグモンが自分の後ろに来ても、嶋川はじっと動かずに辻鷹を見ていた。
まるで返事を待つかのように。
辻鷹は振り向いて言った。
「僕は・・、こうも思うんだ。谷川さんはきっと、『泣いてくれてありがとう』って思ってる気がするんだよ」
一瞬あっけにとられたような表情を見せた嶋川はすぐに微笑む。
「ああ、あいつならそんなこと言いそうだ」
すこし、憑き物が落ちたような声でそう言い、嶋川は階下へと降りて行った。
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